第23章 HTMLは誰が決めているのか
HTML には「第 5 版」のような版番号がありません。いつ完成したのか、誰が決めているのか、よく考えると不思議です。実は HTML は、完成して配られる仕様ではなく、いまも書き換えられ続けている仕様なのです。
この章では、HTML を「どこかの偉い組織が完成版を配る仕様」としてではなく、実装者・編集者・標準化団体のあいだで継続的に運用される仕様として見ます。ゴールは、WHATWG や W3C という名前を覚えることではなく、なぜ HTML が版で止まらず、Living Standard という形を取っているのかを説明できるようになることです。
前章では、ブラウザ戦争の混乱が、共有ルールの必要性を露出させたと見ました。この章では、その反省の先で、いま HTML が誰によってどう決められているかを扱います。次の第7部では、そうして運用され続ける HTML が、なぜ今も生き残っているのかを見ます。
23.1 HTML は一度決めて終わる仕様ではない
現在の HTML では、WHATWG の HTML Living Standard が中心的な参照点になっています。WHATWG は、ブラウザベンダーや関係者が Web 標準を継続的に整備するためのコミュニティです。名前の通り、この仕様は版で固定されず、継続的に更新されます。ここでまず重要なのは、「最新版が出たら古い Web を捨てる」という発想ではないことです。既存の Web を壊さずに、新しい現実を少しずつ取り込むために、仕様そのものが動き続けています。
この形が必要になったのは、第22章で見たように、実装と仕様がずれたまま放置されると Web 全体が疲弊するからです。逆に言えば、仕様は理想だけを書いてもだめで、実際に動いているブラウザ、著者が書いている HTML、既存ページの互換性を引き受けなければなりません。HTML が「生きている仕様」になったのは、気分の問題ではなく、運用上の必要でした。
23.2 組織名より、誰が何を持ち寄るかが大事
ここで WHATWG や W3C の名前が出てきますが、本書で伝えたいのは組織図そのものではありません。W3C は Web 標準を公開・議論してきた標準化団体です。かつては W3C と WHATWG がそれぞれ別に HTML の仕様を出していた時期もありましたが、2019 年に両者は合意し、HTML と DOM の標準を WHATWG の Living Standard へ一本化しました。いま単に「HTML 仕様」と言えば、この WHATWG 版を指します。大事なのは、ブラウザベンダー、仕様編集者、実装者、著者コミュニティ、標準化団体が、それぞれ別の制約を持ち寄っていることです。少なくとも現在の読者にとって重要なのは、「別々の HTML が並立している」と考えるより、HTML が継続的な標準化と実装の往復の中で保たれていると捉えることです。
ブラウザベンダーは実装と互換性を気にします。仕様編集者は曖昧さを減らし、実装可能な形へ落とし込みます。著者側の需要も無視できません。標準化団体は、それらを公開された形で議論し、文書化し、合意形成の場を整えます。提案、議論、実装、フィードバックの往復を経て仕様が更新されるのであって、会議室の中だけで完結するわけではありません。つまり HTML は、誰か一人が決めるのでも、投票だけで決まるのでもなく、現実に動いている Web の制約をすり合わせながら決まっていきます。
だから HTML は誰が決めているのか という問いに、単一の固有名詞だけで答えると少し外します。正確には、「どの組織の下で、どの編集者が、どの実装と互換性を見ながら、どの議論を経て決めているのか」を見る必要があるわけです。
23.3 仕様は法律集ではなく、合意形成の痕跡でもある
この制度の理解が役立つのは、HTML 仕様を固定された法律集として見なくてよくなるからです。仕様書には、理想の設計だけでなく、過去との互換性、実装上の判断、失敗を繰り返さないための細かな規定が折り重なっています。第4章から第8章で見たようなパーサーやエラー回復の細かさも、まさにその産物です。
この視点に立つと、「仕様にそう書いてあるから従う」というだけでは足りません。なぜそこまで細かく書かれているのか、なぜ版で止めずに更新し続けるのか、なぜ実装者の現実が強く反映されるのかまで見えてきます。HTML は、合意形成の過程そのものを内部に抱えた技術です。
23.4 HTML を決める仕組みも、HTML の性格を映している
ここで押さえたいのは、WHATWG と W3C の関係を制度豆知識として覚えることではありません。HTML を決める仕組み自体が、HTML という技術の性格をよく表しているということです。つまり、閉じた場で完成品を決めて配るのではなく、壊せない既存 Web と、新しく出てくる要求のあいだを調整し続ける。その運用の形が、Living Standard です。
そう考えると、HTML が今も生きている理由も見えやすくなります。完成して終わる技術ではなく、公開されたまま調整され続ける技術だからです。第7部では、その HTML がなぜ長生きし、誰に読まれ、どこへ向かうのかを見ます。